福島キッズ

2011年12月30日(金) | ボランティア

12月28日から3日間の福島キッズの葉山が終わった。
初日、横浜から鎌倉入りした子どもたちは、鎌倉の小町通りで食べ歩き。
その後、葉山にやって来た。

初めから屈託なく話しかけて来たり、戯れて来たり、あだ名を付けてくれたりする子どもたち。一瞬、彼らの福島での生活を忘れ、近所の小学生と遊んでいる気分になるくらいの慣れようだった。
私自身は、分宿となった公民館の宿泊の責任者として、2チーム合計55名全員とボランティアさんたちと過ごした3日間。
裏方だったので、一緒に海山の活動には参加出来なかったけれど、スタッフから子どもたちが海や山で思い切り遊んでいた様子を聞いていた。
「良かった!」この言葉が本当に心から涙が出るほど「良かった!」に変わったのは、2日目に未就園児の付き添いで参加した2名のお母さんたちとの話しからだった。

あの日以来、心休まる日は無かった。ずっと我慢して来た。いろいろなことを。言っても変わらないこの現状。どうしたら良いか分からないのに、家庭で決めろと言われる。
学校や幼稚園からは毎回アンケートが来る。
「運動会は体育館が壊れて使えないので、校庭で行います。その練習に参加しますか?はい/いいえ」「夏休み以降、校庭での体育に参加しますか?はい/いいえ」「1月からの校庭での活動に参加しますか?はい/いいえ」
はい か いいえ か……
決めるのは家庭。

目に見えない放射能。でも線量の数値は高い。そこにあるはず。
じゃ福島出ればいいじゃない?
そんなに簡単??
おじいちゃんおばあちゃんは?
仕事は?
お父さんだけ残るの?
もう一度、幼稚園の入園金から全て払うの?
引っ越しの費用は?
そんなに簡単?

コミュニティ力がある地域だからこそ生まれる福島を捨てる?一度捨てて戻ってくるの?という見えない圧力。大丈夫だって国が言っているじゃない?神経質なんじゃないの?
出て行った子どもは行った先でいじめられているよ。
これも真実。
一時的に出る選択は無い。出たら戻れない。

結論を出せないまま過ごした夏は、どんなに暑くても長袖、長ズボン、マスクに帽子。子どもたちは顔を真っ赤にして学校から帰って来る。すぐにシャワー。
余りの暑さにちょっと窓を開けると、小学生のお兄ちゃんが「外の空気が入る!」と閉めてまわる毎日。

来る前に子どもたちが書いた作文には放射能のせいで出来なくなったこと「自転車に乗れない」「プールに入れない」「木登りが出来ない」「ブランコに乗れない」だから「部屋でしか遊べない」………「福島キッズで横浜に行ったら、マスクを外して遊びたい」

そんな9ヶ月間を過ごして来た子どもたちが、冬の海で裸足になってびしょびしょになり、木登りをして、ブランコにも乗ってたくさん遊んだ。

良かったね、本当に。

バスに乗る前に6年生の野球部の男の子2人。ピッチャーとセンター。ずっと野球を続けて甲子園に行きたい。でも…
福島の高校に行けるかどうか分からない。
いとこのいる福岡に引っ越すかも。
俺は東京に引っ越すかも。
一緒にずっとは野球出来ないかな?って。

3月の福島キッズも受け入れることが決まっている。
また思い切り子どもらしく好きなだけ外遊びして欲しいな。

そして、我慢をして来たお母さんたちが初めてゆっくり眠れたのが夏の北海道で受け入れをしてくれた福島キッズだったそうだ。
今回は遠く離れていても一緒に福島に想いを寄せてくれる人たちがいることが嬉しかったと言っていた。
我慢することばっかりだから、発信して欲しい。一緒に考えるから。素晴らしいことは出来なくても、みんなで一緒に考えることは出来るから。そこから何かが始まるかも知れないから。

夏の福島キッズの受け入れは北海道の行政は積極的に受け入れをした。
どうしてこんなに差があるのかな?

でも、今回の今まで携わった被災地支援で学んだ一番のこと。行政がやるべきことをやらない。これを動かそうとする労力を使うより、自分たちに出来ることにその力を使う方が有効。
本当は変な話しだけどね!

何が出来るのか……日本人みんなの課題だな。

*終わってすぐの想いを書いてみました。

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