ねっこのちから
2017年10月07日(土) | 保育telacoya921は現在移転を考えております。
この住宅地のど真ん中で初めて7年。次の4月で8年目を迎えます。
移転を考える理由は、今のままのtelacoya保育を継続しつつ、海にも山にも歩いて行ける中で、目の前に畑があったり、もっと電気や水のことを考えたりする拠点にしたいと言う気持ちがあったからです。
またこの春にアメリカで学んできた知識を活かしたく、その可能性も見いだせる場所を帰国後すぐに探していました。
スタッフとそれらのことを進める中で、他にも今までにないような様々なチャンスを頂き、スタッフ一同で考える機会を多く持つことが出来ました。
それは、私たちが「子どもたちのために」と言うたった一つの目標のために今まで邁進してきた保育を見つめ直す機会にもなりました。
もう一度原点に戻ることも出来ました。
その上で、私たちは変わらず「子どもたちのために」だけを大切に保育をしていきます。
何事にも、最初に始めようと思ったその時に大切にしたいと思ったことがあるはずです。
例えば、政治家の方だって、最初は、、、はじめの一歩の時は、「国民のために」「市民のために」「人のために」「困っている誰かのために」出来ることをしようと立ち上がるはずだと信じています。それでも、中に入ってみたらそこにあるものに巻かれて思うように動けなかったり、目的に向かうために不本意に感じることをしながらものすごい遠回りを強いられたり、中にはお金と権力に負けたりする方もいるのだと思っています。それでも目的に向かうことに対してブレずに進み続ける方もいると思います。簡単なことではないと思いますが、最初に大切にしたいことは何だったのか?自分に問い続けることが大切に感じます。
私たちは「子どもたちのために」このたった一つを追求する園を作りたいと思って来ました。
そのために、自分たちは良いと思っているこのtelacoyaの保育をどうしたいと思っているのか?
広げて行くのか?
深めて行くのか?
私たちの出した答えは深めて行くと言うことでした。
小さな園だけど、ここから出て行った子どもたちのねっこを作っていると信じているから。
そのねっこを広げるのも、枝葉を広げるのも、あとはその子次第。
「ねっこのちから」を信じている。
卒園児の保護者の方からこんな話を聞きました。
卒園児のAちゃんのクラスには、発達が少しゆっくりでみんなの手伝いが必要な友だちがいるとのこと。その子に対して、クラスの友達は赤ちゃん扱いな言葉を使いながら、出来ないと決めつけて全部手伝ってしまうことに違和感を感じていると Aちゃんがお母さんに言ったそうです。みんな優しくて手伝おうと言う気持ちに溢れていて悪いことをしている訳ではない。でも、Aちゃんは「あの子はきっと待っていてあげたら、ゆっくりでも自分で出来ると思うんだ。でも待ってあげるより、みんなはやってあげちゃう。どう言ったらいいかな?」と。
telacoyaでは縦割り保育で、大きい子が小さい子を助けることが常となっていますが、全部やってあげちゃうのは小さい子の出来る可能性を無くしてしまうことだから、どこまで出来るかな?あ、困っているな?でも自分でやろうとしているかな?そろそろ手伝った方がいいか声掛けようなか?と「見守りながらのお手伝い」を心がけるように伝えて来ました。
小さくても出来ることもある。
そばで誰かが暖かい目で見ていてくれたら、やってみようと思えることもある。
出来た時に側でにっこり「出来た」を共有してくれる人がいると、一人で出来た時よりももっと嬉しい。
Aちゃんは在園時からこのような感性を持ち合わせた子でしたが、卒園してからもその視点が変わらなかったことをお母さん自身が嬉しかったと伝えてくれました。
お母さん曰く、3年生にもなってすっかり小学生らしくなり、それはそれで当然のことながら生意気にもなって来たそうですが、「あ、これってtelacoyaだ!」と思える今回のことがやっぱり嬉しかったそうです。
これを聞いた私たちはやっぱり「ねっこのちから」を信じて行こう!と改めて思えるのでした。
人に優しくしなさいと教えられたら、子どもは人に優しくしようとする。
本当の優しさとはどんなことか?
その人がして欲しいと思っている優しさとはどんなことか?
自分がしてあげたいことと相手のして欲しいことは同じかな?
ねっこの部分をしっかりと伝えて行きたいと思います。深く心に残っていくように。そしてそのねっこを持った子どもたちは、枝葉を広げる中で、時には大嵐にあって幹が折れてしまうこともあるかもしれない。それでも大丈夫。しっかりとねっこを張っていたら、また葉を出し、枝を広げることが出来るはず。何度でも。
子どものねっこのちからを信じるためにも、そのねっこがヒゲのように細い頃から大切に育てたい。ヒゲのような細いねっこが進めなくなったら、そっと気づかれないように土を掘り返しておきたいし、自分で進めるちからを持ったなら、美味しい土をそっと気づかれないように足してあげたい。
子どもたちのために、子どもたちの「ねっこのちから」を育む大切な仕事。
そんな仕事につけて本当に涙が出るほどシアワセです。