非認知能力の過小評価

2017年07月18日(火) | 保育

telacoyaでの保育はただ森の中や海、山と言った自然の中でさえ遊ばせていればいいと考えているのではない。

このことをどのように発信していくべきか、ずっと悩んでいました。

telacoya的な保育というのは、海や山に行くことだけを指しているのか?そうしたいのか?

何かが違うということをどう表現すべきなのかと考えていました。

スタッフ間で話し合った結果、私たちが関わる大人として一番大事にしているのは、ありがたい環境に恵まれていることに感謝しながらも、何よりも「子どもたちで育ち合う」ことを見守り、最優先に考えながらも、必要な時にはきちんと方向を示すことが出来るプロの目をなることだというところに行き着きました。

では、それは何のためか?

子どもたちが子ども同士で学び合うことには素晴らしい力があるからです。こんなことは幼児教育に携わっている人たちにはとっくにわかっていることでしょう。

大人の指示で学ぶのではなく、子ども同士の関わり合いの中での学びです。

そのチャンスが日常の中にもいっぱい溢れていますが、自然の中で遊ぶ時にはもっと多くのチャンスがあるということが、telacoya的な保育の特徴なのかもしれません。

遊びの中でも、生活の中でも「決断をする時」があります。

自分で決める。

友だちと決める。

友だちと決めるからには、きちんと一人ひとりが意見を持ち、それを発言し、相手の発言に耳を傾けて、話し合う。そして違う意見も全て大切。その中で折り合いをつける。

このことがtelacoyaでは徹底されています。

内容に大なり小なりの違いはありますが、どの学年でもあります。

例えば、小さいクラスの子どもにも言います。悲しいことや嫌なことがあったその気持ちをしっかりと受け止めつつも、いつまでも泣いている子には「泣くのをやめられるのは自分だよ」って。
泣くのをやめると決めるのは自分。誰にも出来ないこと。

泣くのをやめられたら、それは自分で自分の気持ちを整理して前に進めるチャンスになることを知る。

こう言った場面が毎日たくさんあります。

ある本に書いてあったのは、こう言った「自制心」「困難に出会ってもそこから立ち上がる力」「人とのコミュニケーション能力」などを非認知能力というのだそうです。

では、認知能力とは何か?

テストの点数など、数値で評価される能力を指すそうです。いわゆるその子の勉強の成果を他人にもわかる数値で評価されているものです。

認知能力は反復するなど学習に対する取り組み方次第で上がっていくものです。

では、非認知能力はどのようにして上げて行ったら良いのでしょうか?

これが実は幼稚園、保育園などの幼少期の環境によって身につく能力なのだそうです。その大切な非認知能力への過小評価が今、問題になっていると書いてありました。

要するに、学力を上げるために勉強をする。その学習を根気よく続けるためには「自制心」や「くじけない心」などが必要だと言うことです。

幼少期に大人に決められたものをなんの疑いもなく取り組む子は、一見扱いやすいかもしれませんが、その先に自分で決めて進めたり、止めたり、方向転換をしたりすることをいつ覚えるのだろうか?

しっかりと年齢に応じた決め方、思いの伝え方、相手の思いを知ること、折り合いをつけること、などを育てる環境を作ることが大人の大切な役目だと感じています。

 

 

 

 

Powered by WordPress, WP Theme designed by sabitori works, original theme by WSC Project. ログイン