2015年とっくに始まりました

2015年01月14日(水) | 保育

新年のご挨拶もままならないままに、2015年の保育が始まりました。

みなさま、改めまして、昨年は大変にお世話になり、ありがとうございました。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、ブログの更新を怠っている間に、様々なことがありました。大きな出来事としては、ヨットに乗せて頂いたり、お餅つきがあったりもしました。日々の小さなステキなこともたくさんありました。なかなかアップが追いつかずにおりますが、保護者の皆様やスタッフ間では共有しております。

さて新年第一弾は、子どもにとっての大人の役割を教えてくれる二つのお話です。

【自己肯定感】

年が明けて、ある大人の方と話す中で、胸にグサリと何かが突き刺さるようなお話がありました。

その方は、大変に優しい人なのに、何か自信がない。なぜなんだろうね?と話していくうちに、ご自分の幼少期の話になりました。小さい頃の「記憶」があまり無いと。でも、話のキャッチボールの中で、少しずつ思い出して来たことをポツリポツリとお話し出しました。

保育園の非常階段の鉄骨の色。園庭のブランコの色。なんでこんなことを思い出すんだろう?なんでこんなことしか思い出せないんだろう?
あ、怪我したんだ。保育園の非常階段でおでこを切ったな、、、
ブランコでは歯が欠けたな、、、

他には?

なかなか楽しかった場面は出てこない。

次は小学校。こちらは、もっと具体的なお話が思い出されていきました。その中で、ご本人もすっかりと忘れていたけれど、鮮明に思い出した!と堰を切ったように話し出しました。

それは、学校の校門の前に、下校時の子ども相手に何か商売に結びつけようと、「この質問に答えたら景品をあげるよ」と声をかけるおじさんが立っていて、友だちとその質問に答えてたそうです。「はい、君は3番」「はい、あなたは107番」と番号で景品をもらったそうです。その時、たまたまその人は「はい、君は最後の最後1000番ね」となったそうです。

何気なく、家に帰ってから、その話を両親にすると、お父さんから「お前は何をしても、そうやって最後の最後だな」と言われ、それから何か家で失敗すると悉く「やっぱり1000番だ」と言われ「せんばん」という言葉が頭から離れなくなり、何をしても親から褒められた記憶が少なく、自信が持てなくなってしまった。。。。と話しているうちに原因を見つけてしまいました。

その人は、それを思い出した自分自身がショックだった様子でした。目に涙を浮かべていました。

大人になっても自己肯定感が低い原因は、幼少期の愛情不足から来る場合が多いものだと認識しておりましたが、小さい頃の記憶が鮮明でないと、それをなかなか紐解けません。自分が受けた「愛」の量と友だちが受けた「愛」の量なんて比べることも出来ません。「愛」はお金で買えないし、量が目に見えるものでもない。だから、よく大人になって自分が親になってから、自分の子どもへの「愛」を知って初めて「自分は愛されていたのだろうか?」と気づく方もいます。そのことに過敏になってしまう方もいます。

知らず知らずの間に、自己肯定出来ない人を作り上げてしまうのは、子どもの周囲の大人の責任だと痛感しました。

子どもたちを変に煽てる必要は全くなく、きちんと見てあげること。
そして、100人の子どもが出来ても、たった一人のその子が出来なかったら、その子が出来るようになった時を決して見逃さず、褒めてあげられる大切な時を「見逃さない」大人の一人でありたいなと思いました。

 

【シアワセって言えるシアワセな子ども】

telacoyaの子どもたちは、少なくとも上記のような自己肯定感の低い子はいないと感じています。おうちでたくさん愛を受けているのを、子どもたちの言動や様子から感じます。

冬場、毎週火曜日の保育の中で、telacoyaの友だちの家を訪ねる「お宅訪問」があります。

結構遠くても、歩きながらいろんな話をしながら行くので、片道1時間くらいの道のりはあっと言う間です。

先日もちょっと遠いおうちへのお宅訪問があり、おひさまの女子の会話に参加したり、聞いていたりしながら歩いていました。

H「ドラえもんさ、自分ちにいたらいいよね」

K「うん!!そしたら、何出してもらう?」

H「やっぱり『どこでもドア』でしょう〜!」

K「だよね〜あとさ、スモールライトもいいよね」

H「でも、ちっちゃくなったら踏まれちゃいそうじゃない?」ゲラゲラ〜

などなど「欲しいものいっぱい出してもらおう」とか、楽しそうに盛り上がっていました。

でも、しばらくするとHちゃんが「やっぱりさ、Hはさ、今、シアワセだから何にもいらないや」と言ったのです。

すると、Kちゃんも「そうだね、食べたい時に食べたいものが食べられるってことは、シアワセってことだよね」と答えました。

Hちゃんも「そうだよね、家族が一緒におうちにいて、食べたいものを一緒に食べられるってシアワセなんだってよ」

Kちゃん「うん、うちのお父さんとお母さんもそう言ってた。だからさ、Kちゃんたちってシアワセなんだよね」

 

私「自分の今を『シアワセ』って言える君たちは本当に本当に『シアワセ』なんだよ〜良かったね〜」

 

やっぱり『シアワセノモト』は『家庭』にあるんだと感じました!

どうせ子どもだから、、、という扱いをせずに、大切なことは大切だと話すパパとママの様子が目に浮かんできました。

だからこそ、言葉だけを捉えているのではなくて、ちゃんと「感じている」のだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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