辺野古のこと

2014年01月09日(木) | ボランティア, 保育, 未分類

サバ二を始めて沖縄のことを以前より知るようになった。

それは、自然に。

今、私の周囲の沖縄のサバニ乗りの方たちは、この伝統を絶やさないようにという想いからサバニに乗っている、大切に伝承しようとしている。

沖縄の伝統。沖縄の歴史。沖縄の今。

今の私の周りには、それらを知るためのチャンスの入り口がたくさんある。その入り口はドアを開けている。

今回サバニ練習をさせて頂く為に訪れた糸満への旅。最終日はサバニには乗らずに辺野古に行こうと決めていた。

どうなっているのか?自分の目で見たかった。確かめたかった。

辺野古へ行くことを現地の方に告げると、平日の仕事の中、私たちのために時間を割いて案内をして下さった。

宜野座で待ち合わせをして、美しい場所を点々と見せて頂いた。サバニを漕ぐ美しい海岸。ここから見える景色はいずれこうなってしまう。ここから見えるあの半島の先端の島は、もうここからは見えなくなってしまう。景色も変わる。海の中も変わってしまう。そう聞いたら、切なかった。

辺野古へ。

そこは、静かな静かな場所だった。どこにそのような問題が起きているのか?分からないくらい静かな場所だった。

私たち夫婦だけで訪ねていたならば、そのまま立ち去ってしまいそうなくらい。

浜の端の方にテントが立っていて、その中に現在に至るまでの新聞の切り抜き、情報などが張り巡らされていた。そこで、現在の状況を聞いた。

ジュゴンの生息だけを論点にしたくはないこと、この辺野古の自然を生かして市が主導を取って、エコツアーなどの発展を目指し、軌道に乗り始めているとのこと、今あるもの(自然環境)を生かして市を発展させたい、その足がかりが出来て来ている今、根こそぎ絶たれてしまう無念さ、そして、どこにどの規模の滑走路が出来て、その工事に取りかかるための作業ヤードがこのテントの場所に計画されていることなど。

たくさんのお話しを伺った後、他に知りたいことがありますか?と聞かれた。知りたいこと?私は知りたいことが出てくるほどこの状況を分かっていないと思った。

自然を破壊することを容認したくない。でも、そんなことは誰しもが分かっていること。それでも破壊しなくてはならない何があるのか?それを知りたくて来ましたと答えた。

そもそも論から言えば「基地は必要なのか?」ということから論議しなくては始まらないと思っていた。

私は今は葉山町に住んでいるが、小学校からずっと何十年も私は逗子市民だった。私の中学校のプールも広いグランドも米軍基地の返還地に出来たものだ。基地の弾薬庫があった土地に戦後そのままの自然が残されている場所がある。そこに米軍住宅を作るか否かで逗子市の市政は10年間止まったことがある。毎回の市長選の論点は、米軍住宅の建設賛成か反対かのみになって行った。本当はもっと大事な事があったのに。福祉の問題、子どもの教育の問題ゴミの問題などなど。

この名護市もその渦に巻き込まれていた。市民は反対派か賛成派かに分かれ、それを表立って表明しない、出来ないという市民もいる。お年寄りも多いこの地域で、自分たちの最後を静かに穏やかにそして安心に過ごしたいということから「賛成」をする人。残して行く孫たちのために「反対」をする人。道で顔を合わせれば、賛成か反対かの話し。その意志を家の前に掲げると、それを夜のうちに外しに来る人がいる。市民同士が心穏やかにいられない状況。

そもそも基地がなくなれば、市民同士がこのような状況になることも無かったはずだ。

しかし、沖縄の基地問題はそんなレベルではなかった。やはりよく分かっていなかった。

普天間、キャンプシュワブ、キャンプハンセン、嘉手納などなど聞いたことのある名前がいっぱい。そこらじゅう基地だらけの中に沖縄の人の暮らしはあった。そこに、そのおかげで沖縄の人の「雇用」が生まれているということを掲げる人に対して、返還されてから生み出された「雇用」との比較表があった。それは、確かに基地での「雇用」はあるが、返還されてからの「雇用」の方が大きく上回っていた。

この基地と共に戦後何十年も生きてきた、いや、生きなければならなかった沖縄の人たちは、基地が無くなるということに対しては相手が国(日本とアメリカ)なので、諦めているところもあると聞いた。それに対して、NOをしっかりと表明して来た今の沖縄県知事、今回の結論に対しては批判的な意見も多かったが、知事自身を否定する意見は意外にも少なく感じた。よほどの何かでその結論を出さざるを得なかったのだろうという意見が多かった。

そして、沖縄の人たちの中に見えた共通点は「普天間からだけは移転しないといけないだろう」という事だった。普天間の危険性は沖縄の人たちの共通の心配ごと。それだけは、どなたに聞いても同じだった。そこで、最後に普天間にも行ってみた。

確かに町中にあるその基地の上空のヘリの往来は想像以上だった。横浜の町中に低空飛行のヘリが飛んでいると想像して頂けると分かりやすいと思う。そのヘリの下には、大きな道があり、たくさんの車が往来し、子どもたちが下校している。

基地とお金、原発とお金、自然破壊と雇用、被災地の復興。これらが頭をグルグル廻って整理がつかない。

私に出来る事は何だろう?

立ち向かうのさえ諦めたくなるような日本の政治家たち。でも、こうしてこの国を否定する事が私たち大人のする事か?では、やみくもに反対、賛成と声を上げる事が私たち大人のする事か?では、静観ということにして何もしないのが私たち大人のする事か?

私は大人として、子どもたちに恥じぬよう、しっかりと考えて行きたいと思った。

このような貴重なお時間を割いて下さったTさん、Iさん本当にありがとうございました。

 

そして、今日はtelacoyaの子どもたちと初詣に行った。行く前にお賽銭の事、なぜ五円玉をお賽銭に使うのか?ご縁とは何か?などの話しをした。神様へのお願いごとは「お金で買えないこと」を考えようと伝えた。すると「たくさんの友だちが出来ますように」「みんながニコニコでいられますように」「みんながケンカをしませんように」「携帯電話がもらえますように」「お金で買えるじゃーーん!!」「あ、そうか」「新幹線を運転出来ますように」などなど。

たくさんの友だちが出来て(世界中の人と仲良しに)みんながニコニコでいられて(誰もがシアワセに)みんながケンカしないで(世界中で戦争が無くなって)新幹線が運転出来たら(夢が叶ったら)いいよね〜!!

 

未来の子どもたちのために「諦めた大人の姿」だけは見せられないな。

 

 

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