久しぶりの女川/高白浜へ

2013年06月20日(木) | ボランティア

 

昨秋から父の入院、葬儀と続き、なかなか行かれなかった女川。10月に行って以来、8ヶ月ぶりにかなボラバスで参加出来た。

今回のミッションは、3月に先立って行なわれた畑用地の開墾に続き、用地拡大に伴う開墾作業。3月に整備された畑には、イチジクと唐辛子などが育っていた。新しく広い用地を得て、イチジクの収穫も拡大出来るようにと願いたい。

高白浜に入る前に、初めての参加者の方もいらしたので、石巻、女川の中心地をバスで回ることになった。

石巻は以前に比べて新しい建物も増えて、放置されていた一階を津波が駆け抜けたままの戸立ての家も少なくなっていた。瓦礫が校舎の3階建て部分と同じ高さまで校庭に積み上げられていた商業高校は、その山積みの瓦礫も、校舎も全て無くなり、広大な更地となっていた。いつ来ても、学校の体育館に卒業式の準備の紅白幕がいつまでも見えていたことを思い出す。その度に、その日の子どもたちに思いを馳せては、悲しい思いが込み上げて来たものだった。こうして、更地になり、その後年月が経つと、やっぱり思い出すことは少なくなってしまうのかな?複雑な思いだった。

門脇小学校は、真っ黒に焼けた校舎が佇んでいたが、解体に向けて足場が架けられ、その校舎を見ることはもう出来なくなるようだった。海からほぼ一直線に何も無くなり、見渡せる広い景色。取り壊されていない家がポツンと一軒だけたっている。小学校の子どもたちの声で賑わっていたであろう街の姿は、全く無くなっていた。

石巻は、海岸沿いの道路をかさ上げして防波堤代わりにし、その内側に堀のようなものを作り、そのまた内側にしか人が住めないような形にするらしい。2011年5月に初めて入った石巻市大街道のお宅も、せっかく家を直してやっと住めるようになったのに、ちょうど「堀」の部分になってしまう調整区域にあたってしまい、僅かな移転費用でどうしてよいかわからないと、本当に本当に悲しそうにしていらした。

万人が納得いく方法なんて難しいとは分かっているけれど、もう少し、地図上だけではなく現地の生活に寄り添った案は出来ないものなのかな?と思った。

そんな中、希望に湧いたのは鉄道。石巻〜女川間の鉄道再建が進んでいる(と言ってもやっとのことだけど)女川の一歩手前まで電車が来ていた。バスの中で「おお〜電車だ〜!!」と一瞬にしてみんなにわか鉄ちゃん&鉄子状態!

これから1年半くらいで女川駅が出来るそうだ。こうして少しずつ変わって行くのだろうな。本当に少しずつ。でも、前に進んでいると感じられるとちょっと嬉しい。

女川に入ると、相変わらず横倒しのビルが目に入る。これも全員一致ではないが、震災遺産として、この災害の教訓を残そうと、取り壊さずに残すビルもある。残すことによって、様々な想いがあるので、賛否両論ではあるが、残すビルには以前の様子が分かる写真入りの看板が立てられていて、女川の外から来た人にもわかるようになっていた。

そして、少し前までビルの3階くらいの高さまでつみあげられていた瓦礫が、道路の両側に迫り、その間を縫って車が走っていた地域もすっかりと瓦礫は無くなり、ただただ更地の中を車が走るようになっていた。

その先を進み、山の方に登って行くと、以前は残されていた女川の総合競技場も壊され、住宅建設地となっていた。以前は公式記録が取れる程の立派な陸上競技場だったが、震災でトラックがデコボコになっていた。そこで、昨年の3月には復幸祭が行なわれたりしていた。

再び、海の方に下りて来ると、立派な白い建屋が見えた。カタールが20億円も出してくれて建ったという、漁業関連の保冷作業倉庫だ。漁を始めたかったら船がないと。でも、捕った魚を保冷したり、処理したり、加工したりという施設が伴わないと漁業の復活にはならない。よその「国」が支援してくれて助かった。日本は何をしているんだろう。。。復興支援費についての、聞きたくないような、耳を疑いたくなるようなニュースには、私たちでさえ、がっかりする。当事者だったら身体のチカラが抜け切るような、悲しい気持ちになるのでは。。。何度も何度も立ち上がろうと、踏ん張って、頑張っている人たちに対して、今だ自分たちの被災していない自分たちのことしか考えない人がいる、なんて悲しいひどい国なんだろう。という気持ちばかりが湧いて来てしまうのを、一旦押さえて高白浜へ。

やりがいのある作業現場に加えて、すごい雨。風がないだけマシか!?準備運動をしてから作業に入る。今回は、瓦礫、漂着物の撤去と木の切り倒し、ヨシなどの切り取り。今月中なら、女川町が瓦礫、漂着物を引き取りに来てくれる。一見雑草だらけの土地に見えるが、その下にはすごいんだよ、だから草取り機などは入れないとのこと。人海戦術が1番効果的!作業開始〜!

私は初期から携わらせて頂いている高白浜仮設住宅の草履組合7人娘のおばあちゃんたちが元気が無いとのことで、一旦作業から離れ仮設住宅へ。ボラバス代表と一夏滞在したAさんと一緒に尋ねると「あっら〜元気なの〜?」と1番元気でユニークなとみちゃんが、出迎えてくれた。次々とみんなに声をかけて出て来てくれた。

草履作りも、本当にいろいろあった。ここまでくるのに、ママサポーターズの八木さんの苦労は計り知れない。それでも、ここまで来た。全国からTシャツが届き、全国で草履が売られて行った。

しかし、決定的になったことが今年の始めにあった。「仮設住宅の集会所で金稼ぎしている」という声に役場が対応。一日頑張って1.2足しか出来ない草履作り。日給にしたら1000円か2000円。これは金稼ぎなのか?私たちが当初、1番に願っていた「個々の仮設の部屋から出てもらうこと」「集会所で顔を合わせて、みんなで楽しみながらの手作業」が根底からひっくり返された。懸念はしていた。どんどん広がる「高白浜草履組合」だったから。

この窮地に、仮設ごとに一致団結していろいろな方法で乗り越えつつある現在。年齢的にも高齢の方が特に多かったからか?地域性なのか?先駆者でもあった「高白浜」のおばあちゃんたちは引退気味になってしまった。7人娘からどんどん減って3人娘になっても頑張っていたけれど。。。

これにはいろんな問題があり、外部の私たちが何かを出来る訳ではない。でも、封印されていた集会所に4人集まってくれた。懐かしい話しをしたり、今の暮らしを話してくれたりしながらも、「これから」の話しには何だか元気が無い。復興住宅の場所を地図を見ながら話してくれるものの、「出来上がるのは3年後からもっとじゃないかね〜私ら生きてるか分からない」「いやいや!生きて見届けなくちゃ!!」「葉山に呼んでれくれた時はありがとね〜海でワカメやメカブばかり見つけて、干し方違うなんてそんな話しばっかりしたね〜お陰さまで良い想い出作ってもらって〜お世話になって。ありがとね」「いやいや!また来て下さいよ〜」

この人たちがまたゲラゲラと笑って元気を取り戻してくれるために、こーんなたまにしか来ない私には何にも出来ないんだな〜と実感。現地にいる八木さんでさえ、難しいことだと。だから、おばあちゃん、おじいちゃんたちの「今」に尽力するのだと。その通りだなと感じた。+やっぱり子どもたちも加わり、文字通り、老若男女が集える場所にしたいものだと!そして、これってここだけの問題ではないと再認識する。

そんなお茶っこしている間に作業はものすごい勢いで進み、戻ってから頑張るも3分の1くらいしか出来なかったような感じだった。ごめんなさい!

お昼には、雨の中、BBQで立ち食いで腹を満たし(笑)ながら、元ヨットマンの八木さんのご主人と海を生かして何かをしたいという話しで盛り上がった。午後、私と旦那さんは、この地で畑作業と言う労力と引き換えに宿泊を提供するwwoof japan のような仕組み+シーカヤックで女川の海を知るようなものが出来ないかと模索し、海の方を見に行く。

新しい防波堤が建設中ではあったが、遠くには入り江の入り口の向こうに何が見えるのかな?カヤックで覗いてみたいなというような立地でワクワク感も出て来た。私の地元で海洋体験センターをしているところに連絡をして、道筋が立つのか相談。女川で震災前までカヤックで生業を立てていた方を紹介して頂く。事務処理作業なども含めて、どこまで出来るのか、まだ時期尚早なのか、見極めたい。

津波の怖い海ではあるけれど、やっぱり海との共存は否めない。海と共存して生きて行きたい。そんな想いを少しでも実現出来るように、海と共に過ごしている私たちに出来ることを考えて行きたい。

午後は、うみねこハウスへ。宮城テレビの取材が入っているとのことで、名物「さんまnaたい焼き」を頂きながら見学。この日の午前中、タブレット講習会を受けて少々げんなりな(笑)おばあちゃんたちは、たい焼き、草履販売などで元気を取り戻し〜活気のあるうみねこハウスは本当に楽しい!

そこで、元気なおばあちゃんたちに刺激されて、活動を始め出したおじいちゃんたちに「父の日」のプレゼントを贈呈。開墾した畑で精を出すおじいちゃんたちに「papachan’s」のお揃いの帽子をプレゼントしました。

そこから、高政さん、鈴丸水産さんなど美味しいものをみんなでお買い物。

そして、最後にいつも立ち寄る「元気の湯」でやっと汗を流し、そこで「イチジクハウス構想」を聞き、夢に向かって一緒に歩める喜び、ありがたさを感じながらバスに乗り込みZZZZZZZ………

途中のサービスエリアで1度も目覚めることなく気付けば上野に!よく寝ました〜

横浜について大雨。葉山まで辿り着き、またちょっと寝てから、シーカヤック構想の打ち合わせに。具体化するのは、人手が必要。じっくり考えて進めた方が良さそう。でも、届かない夢ではない。

本業もしっかりと頑張らないといけないし、また、もっともっと時間が欲しい!!とココロから想うのでありました。

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